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NORTHERN LIGHTS
members' interview
ゼネラルソリューション(GS)部 部門長
奥山 美帆
Miho Okuyama
[青森県出身]
首都圏の大手インターネット広告企業に就職し、ネット広告の発注・運用、メディア事業に従事。
2012年八戸市へUターンし、ノーザンライツの広告運用業務の立ち上げに参画。
2013年 アシスタントマネージャー昇格、年間MVP受賞
2015年 マネージャー昇格
2017年 部門長昇格
現在は、広告運用事業部門の責任者として事業を推進。

新卒で首都圏の大手インターネット広告企業に就職し、その後八戸市にUターンした奥山に、ノーザンライツの中で感じるやりがいや、職場の魅力についてインタビューしました。
「学校の先生にならなきゃ」から、ドラマの影響で(!?)広告業界へ
祖父が校長先生だったので、私が子どもの頃は「学校の先生になるのがいい、だから地元の国立大学に行くんだ」とよく言われました。
そのため、中学生の時の職場見学会でも、どの会社・職場にも行かずにいるような生徒でした。
その後、実家から少し離れた八戸西高校、そして弘前大学へ進学しました。
この時もまだ教職がとれる学部を意識して、人文学部へを選びました。
「先生にならなきゃいけない」と思いつつ、「一度も社会に出たことがない人間が教壇に立って良いのか」「世の中のことを教えられるのか」など迷い、教員採用試験の勉強にも身が入らないまま、就職活動のシーズンを迎えました。
地元を含む民間企業の就職も視野に入れ、銀行なども受けました。
当時、「サプリ」という大手広告会社を舞台にしたドラマが放送されており、そのドラマの中の世界に憧れていました。主人公のCMプランナーの女性も、その業界も、キラキラ輝いていて、「サービスや商品の価値を見せる広告」という仕事に魅力を感じていました。
また、当時の友人が地元ではなく関西で働こうとしていたこともあり、それに影響を受け、東京で働こうと決意しました。青森⇔東京の夜行バスで、東京での就職活動をしました。
内定したインターネット広告企業では、同じ大学出身でバイタリティーある先輩とも出会い、より憧れを深めたことを思い出します。
就職活動を始めた当初、家族は反対していたものの、東京へ旅立つ時には応援して送り出してくれました。
念願の広告業界に入ってみて
実は、広告営業もカッコイイと思い、そこで営業のノウハウなどを教えてもらえると思っていたのですが、実際の配属先は進行管理の部署でした。
多くの同期が営業やリスティング運用、メディア関連の部署に配属されていた一方、私に希望は叶わずくやしい思いをしたのですが、今思い返すと、配属先での仕事も充実していましたし、私の適性を見ていただけたのだと感じています。
後にこの仕事を通しての経験や学びが糧となり、ノーザンライツでの事業立ち上げに繋がっていきました。
Uターンして働いてみて分かったこと・良かったこと
「いつかは青森に帰ろう」と思っていました。Uターンしようと決めて、お世話になった会社を退職しようというとき、偶然にも「八戸のノーザンライツという企業」で広告運用の事業があることを知って応募し、採用されました。
Uターンしてみて改めて実感したことは、「東京で一度は働いてみて良かった」ということです。今の仕事で前職の経験が活かせているのはもちろん、それ以上に、野心を持ったたくさんの人々や同僚との出会いからそう思っています。
同期社員に多くの刺激をもらいました。今までの自分のいた世界にはない発想があり、本気で起業したいと計画していたり、実際に今、起業している人もいます。前向きな理由で転職する人も多く、皆どんどんステップアップしています。たくさんの刺激を受けて、気付かぬうちに自分で定めていたリミットを外すことが出来るようになったと感じています。
また一方で、青森に戻り、八戸で働いて良かったと思えるのは、ライフスタイルに余裕が出たことです。今は車通勤で音楽を聴いたりしながら、好きな時間を過ごしています。
また、八戸の皆さんの「人の良さ」も感じます。仕事は真面目にやり遂げますし、実直さを感じます。
中学の頃から大学まで続けていたバレーボールも再開し、地元のチームを通じて異なる職種の新しい友達ができたりしました。
家族がそばにいる癒しと安心感は、自分の生活にとって何よりも大切なことです。
八戸にいても東京出張がありますし、新しい仕事をすることは好きなので、何かあればいつでも積極的に行動したいと思っています。
ノーザンライツの良さ・魅力とは
私がノーザンライツで働き続けているのは、「風通しのよさ」と「やりたいと思っていることをやらせてもらっている」ということが理由です。
「このチームのためにやりたい・やらねば」と思って、アシスタントマネージャー、マネージャーになっていきました。周りも応援してくれました。東京から帰ってきた時の、勢いを活かせたのかもしれません。出る杭を打つわけではなく、当時の上司や今の社長の田中に「奥山を伸ばしてみよう」と思ってもらえたと感じています。立ち上げの頃から、会社やチームに対して色々と思ったことを言ってきましたが、それを遠ざけず受け止めてもらえました。多少は面倒に思われたかもしれませんが・・・(笑)
自分が部門長になってからの会議運営でも互いに言いたいことを話せるような環境づくりや、参加人数が多くても必ず一人一回は発言してもらうように進めています。
ノーザンライツでの仕事のやりがい
部門長として部署全体を見るようになってからは、メンバーひとりひとりの成長が自分自身のやりがいや喜びに繋がっています。
東京で働いていた時は、自分の仕事・案件だけを見ていました。しかし、今は部署全体の仕事に責任を持ち、いろいろな社員がいる中で、様々な個性を組み合わせて、部署目標を達成したり、お客様にお褒めの言葉をいただいたりするのは嬉しいと感じています。チームの中でにも、自ら成長機会を見つけたり、コミュニケーションを積極的に取るように変わっていったりしたメンバーもいます。
私の担当する事業のチームは、もともと7人での立ち上げから始まり、私も業務担当メンバーの1人でした。クライアントのご担当者様もノーザンライツのメンバーを自社の仲間のように接してくださり、一緒にチームを作ってくださいました。お客様やメンバーの力で事業も少しずつ増えていったので、実は「自分がやった!」というような感覚はありません。
こうした事業成長の機会、メンバーやお客様に恵まれて、私は運が良いと思っています。

自分の未来については、悩み中・・・
最近、1on1での役員との研修などでも将来のキャリアについて問われるのですが、具体的には決まっておらず考えている最中です。今の事業を突き詰めていきたいと思う一方、社員教育にも関わりたいとも考えています。
私だけではなく、誰しもキャリアに悩んでいると思いますので、どこに向かっていきたいのか、人それぞれのビジョンに寄り添うような仕事をしていきたいと思っています。
ノーザンライツでは、「暮らしたい場所で活躍できる社会へ」というビジョンを掲げていますが、実際はまだ完全には消化しきれていない部分もあります。
若い人には、「若いうちに青森ではなく、東京や海外に行って刺激を受けてみたい」という気持ちもあるでしょう。そして、青森・八戸に帰ってきたいという時には、「ノーザンライツでも首都圏と同じような仕事をしている」「やりがいある仕事が出来る」というようにできていればと思います。

20代の自分には、今の自分は想像できていませんでした。
「何かをしたいという意志(Will)」を持つと同時に、環境や機会に合わせた柔軟性も持ち合わせている方が良いと思っています。会社も変化していくので、その方向を肯定的に受け止めて促進していきます。
前職の会社への愛着は変わらず、今でも恩返ししたい気持ちがあります。
また、ノーザンライツに入社してからは、現在の部署のメンバーを守っていきたい気持ちがあります。自分がしっかりしていないとメンバーに申し訳ないので、まだ出来ないことはたくさんありますが、変化に適応して努力を重ねていきます。
「人間の可能性、技術への適応」は、トゥルージオ社との資本業務提携で生まれたスローガンです。会社を成長させていくために、悩みながらも現状に満足せず、付加価値ある事業を構築していきたいと考えています。